美容の神さま見つけた💕
日本にいた時は化粧品関係の仕事をしていたリュリです。
年末にいつもお世話になっている美容師さんが捕まらず、中途半端に伸びてきた髪がうっとおしくて、なんとしても新年を迎える前に切りたかった。
それでYouTube をみてみたら、自分で切れるかも!と思い、後先考えずに切ってみた。
数日後、以外な人が若返ったと言ってくれた。
調子に乗って、これからも自分で切ってみようかなと思っていた。
ショートヘアは素人が切っても大丈夫なのか?と心配していたが、人には分からないのだろう。
ところが何年ぶりに会った女性にボソっとつぶやかれた。
[(髪型) なんか美容っぽくないね。前はもっと美容を意識している感じだったのに。変じゃないけど ]
自分では似合っていると思っていたが、昔の私の美意識を知っている人から見たら美意識を感じさせない自然な仕上がりになっているのだ。
こ綺麗にしていたつもりが、こざっぱりに。
そういえば、このところ元気だねと言われることはあったけれど、素敵ね、などオシャレの観点から何か言われることはなかった。
この指摘してくれた女性に感謝しなくては‼️
若い子には気軽に[ 今日のメイク濃くない?]とか[ 太った?]など言えるかもしれない。
メイクが濃くなるのは頑張り過ぎたから起きたアクシデントだし、太ったなんて言えるうちはふっくらしたね、くらいの感覚だろう。
それが、分別のある年頃の女性に対して世間は口出ししてこなくなる。
大人の女性であれば、自分の姿は自己プロデュースの結果なのだ。
どんな仕上がりになっているのかなど、当然わかってやっているはず。
指摘したら恨まれるだけだ。
人にネガティブなことは言いにくい。
たとえ白髪が一本飛び出しているのをみつけても、変だなぁと思う服を着ているのを見ても、所詮は人の事。
人の振り見て我が振り直せ
それなのに、あえて言ってくれる人が周りにいたら、絶対に逃がしてはいけない!
かなり希少価値の高い人である。
耳が痛いことを言われると誰でも傷つく。
傷つくということは、自分が思ってもみなかったことを人に言われたから。
普段から思っていたことを言われたのなら、[ やっぱり、あなたもそう思う? ]
と、傷つく事はない。
美容にとって、大きく傷つく出来事はピーリングするくらいの効果があるはずだ。
そう、古い皮を一枚めくって、新しい自分を呼び覚ますように。
今までは同じ鏡をみていても見えなかった、自分のヤバさに気づきはじめる。
そのうち周囲や雑誌をみて、自分の可能性を追求しだす。
どこまで戻れるのか?
さっきまで何の不安もなく、崖っぷちに向かってゆっくり運転してきた車のブレーキを、全体重をかけて踏み切るくらい
落ちてはいけない‼️
と、焦るのだ。
この効果、一万円の美容液以上に速効性があるかもしれない。
ショック療法だが、下手に褒められるよりはマシなのだ。
子役の頃に可愛いかった子が、大人になると普通になってしまうのをみれば分かるだろう。
容姿を褒められ慣れると、そのことに関しては当たり前になる。
可愛いね、なんて言われ続けたら、努力しなくても可愛いかった子供時代が過ぎても、本人はずっと可愛いままでいられると信じているだろう。
だから周りにマイナスポイントを指摘してくれる人がいなければ、努力して美を手に入れる意味がわからない。
その間に、可愛いと言われない子は必死で研究を重ねているのである。
自然なままで可愛いかったり、美しくいられる期間は限られている。
消美期限を過ぎたら、努力なくして美は保てない。
男性に好かれたいなどの目的があれば進んで努力をするだろう。
そんな目的もなく、タレントのように人に見られる職業でもない一般人が美容にかける情熱を保つには、どうしたら良いのだろうか?
そこで、耳が痛いことを言ってくれる人は美容の神さまなのだ。
言われているうちは改善の余地がある。
少なからず、以前のほうが魅力的だったと教えてくれているのだ。
その期待に応えようではないか。
この勇気ある発言をする美容の神さま、かならずしも女性とは限らないし、オシャレにハマっている人とも限らない。
見逃さないように気をつけて!