jeanne-lully’s blog

ちょっと変わった元日本人がパリで思う事

フランス帰化式典に出席して、記念にCarré Pain De Mieで食事

 昨年の後半にフランス国籍を頂いたリュリです。

 

 今日はフランスに帰化した人のセレモニーに呼ばれて、帰化する前に面接を受けた場所に行ってきた。

 

  一人同伴が認められていたので、パリの妹 (実の妹ではないが、妹のような存在の子) を誘って2人で会場に向かった。

 


 手紙には15時丁度に集合と書いてあったので、式典が15時に始まるのかと思って15分前には到着するようにした。

 


扉の前にはすでに20人くらい並んでいた。

 


参加者は普通の服装か、それより少しオシャレくらいな控えめな感じで、朝から真剣に悩んだ時間が悔やまれた。

 


まあ、自己満足できたらそれでいい。

 


 15時になると扉の中に通され、カバンと上着のチェックを受けてから階段で三階(日本の4階)まで登っていった。

 


久しぶりにパンプスを履いたので、前は履きやすかったはずなのに、買ったばかりのように歩きにくくなっていた。

 


一年くらいパンプスを履かなかっただけで、パンプスが合わない足の形になってしまったのは少しショックだ。

 

f:id:jeanne-lully:20190222090623j:image
 

受付で身分証と、招待状、他国籍申告書(招待状と一緒に送られてきた)を提出。

 


そのあとで式典室に入る。

 


正面のスクリーンにフランス国旗が映しだされ、右横にはマリアンヌというフランスシンボルである女性の胸像があった。

 

f:id:jeanne-lully:20190222090559j:image式典会場

 


好きな椅子に座って待っていると、先程の受付係が帰化者の名前を呼びファイルを渡し始めた。

 


中には下記の書類が入っていた。

 


•デクレ(法令)という帰化証明書になるもの

•出生証明書

•エマニュエル マクロン大統領からの手紙

•フランス国民の権利についての書類

•フランス国歌の歌詞と前書き

•情報( 身分証、パスポートの申請案内などの一覧)

などなど。

 

f:id:jeanne-lully:20190222090716j:image書類の一部

 


司会?の女性が簡単に話し、続いて男性が紙を見ながらスピーチを始めた。

 


フランス国民になった私たちを歓迎しつつ、フランスとはこう言う国ですと言ってたような。

 

 

スピーチは学校の全校朝礼で校長先生が話しているようで、だんだん飽きてしまった。

 


話し終えると会場からは拍手が起こった。

 

 

最後にフランス国歌を一番だけ、流れて来た録音伴奏に合わせて、全員起立して歌った。

 


この日のために1番だけは歌詞を見ながら唄えるようにしておいたが、周りの人は歌詞も見ないで歌っていた。

 


そのあとはステージで自由に写真を撮って良いとの事で、順番待ちの列が出来始めた。

 


一年前にYouTube でこの式典の様子を見た事があった。

 


興味ある方は cérémonie naturalisation

française で検索してみてほしい。

 


そこでは卒業証書を貰う時みたいに、一人づつ前にでて書類をもらい、記念撮影をしていた。

 


それを見て、かなり感動的な式典だと思い込んでいた。

 


終わってみると予想をはるかに裏切るサッパリ感。

 

 

40分くらいの滞在時間だった。

 


スピーチの最後に[ エジプト、バングラデシュ、イタリア、日本、etc ]と帰化者の母国が読み上げられた。

 


 イタリアの人がフランス人になりたいと思うことがあるのかと少し不思議に思った。

 


イタリア以外の国の人がフランス人になりたい理由は、母国で働くよりも割の良いフランスで働きたいと言う経済的なものか、母国の治安問題から離れたいと言ったものが多いと思う。

 


しかしイタリアはフランスのとなりにあり同じEU加盟国で、イタリア人がフランスに住むのはそう難しくない。

 


イタリア人のままフランスに暮らせない事情があるのか、暮らしたくないのか、とても興味がある。

 


そういえば、私の好きな作曲家にイタリア人でフランスに帰化した人がいる。

 


私のブログ名の元である、

ジャン=バティスト・リュリ(Jean-Baptiste [de] Lully', 1632年11月28日 - 1687年3月22日)は、フランス盛期バロック音楽の作曲家。ルイ14世の宮廷楽長および寵臣として、フランス貴族社会で権勢をほしいままにした。元はジョヴァンニ・バッティスタ・ルッリ(Giovanni Battista Lulli)という名でイタリア人だったが、1661年にフランス国籍を取得した。

ウィキペディア より引用

 


ちなみにアルファベット表記でジャン= バティストのあとに [de]が付いているが、これは貴族である事を意味している。

 


現在でも名前の中にde が付いている人は、貴族の末裔なのだ。

 


どうして作曲家リュリがフランスに帰化したのか、考えた事がなかった。

 


これは調べてみないと!

課題をみつけてしまった。

 

 

 式典がサラッと終わり、昼ご飯を食べていない私達は、普段はなかなか行かれないところで記念に食事をしようという事になった。

 


なんせ16時頃に美味しい物を食べるとなると、中休みをとるレストランの多いパリでは選択肢が狭まる。

 


 そこで思い浮かんだのが4区にあるCarré Pain De Mie と言う食事が出来る食パン屋さんだ。

 


東京銀座から出店したお店で、開店した頃に一度行った事があった。

 


その時はフルーツサンドが食べたくなって、たどり着いたのがこちらだったのだ。

 


日本なら食パンに生クリームとフルーツを挟んだサンドイッチなんて、そんなに珍しくないと思う。

 


けれどパリで日本のフルーツサンドが食べたくても扱っているお店がほとんど見つからない。

 

こちらにフルーツサンドがあると知り、銀座の人気店の出店だそうで、行かなくてはと急いで出かけた。

 

フルーツサンドに15€❓

と私の経済状況と不釣り合いな金額に一瞬躊躇したが、飛行機代をかけて日本まで行ってフルーツパーラーでフルーツサンドをたべるよりも、ここで15€で済むならいいかなと思った。

 

 

妹分は行った事がないけれど、噂できいているから行きたいと言う事で、早速お店に向かった。

 


なんと17時までランチメニューを提供していて、単品の通常のものよりもお得になっていた。

20€と15€のセットがあり、選べるサンドイッチが違う。

 


ランチセットの内容

 

サンドイッチ

サラダかフライドポテト

ミニフレンチトースト

コーヒー(アメリカンでもOK)

 

 

 

各自ランチセットをひとつ選び、更にデザートとしてフルーツサンドを半分ずつ食べることに。

 


かなりのボリュームだそうで、2人ともワクワクしていた。

 

 

f:id:jeanne-lully:20190222092031j:imageフルーツサンド

 

 

 


パンはもちろん具材の味も良い。

3種類どれも当たりだった。

おまけにミニフレンチトーストが最高に美味しい‼️

 


上質な味を堪能し、[ いい一日になったなぁ]としみじみ思った。

 


今後このお店を訪れる度に、今日の一連の出来事を思い出すに違いない。

 


また行きたい!