jeanne-lully’s blog

ちょっと変わった元日本人がパリで思う事

不用品を一掃する醍醐味

 もうすぐ引っ越しで、処分できるものがないか、ガランとした部屋を見渡して毎日考えているリュリです。

 

 物が減ると部屋がスッキリして掃除が楽になるとか、余計な物を買おうとしなくなるからお金が貯まるなど、不用品処分の効果は皆んなが知っての通りだ。

 

 ところがそれ以外にも私はプチ幸せを感じることがある。

 

 それは、貰ってくれてくれる人がいたということだ。

 

 どういうことかと言うと、自分が気に入っている物で売れない場合は、せめて誰かに使ってもらって、その品物の役目をはたさせてあげたい。

 

けれど相手にとって不用品だと貰ってくれない。

 

となれば、

1. 嫌な気持ちを引きづりながら捨ててしまう。
2. 道端に置いて知らない人に持っていってもらう。
3. 腐れ縁で手元にのこしておく。

 

この中からの選択となる。

 


ところが、少しでも面識のある人が喜んで貰ってくれたら、嫌な三者選択をしなくて良い。

 


人が喜んでくれて自分も助かるなんて、幸せな事ではないか。

 

こういう人が身近にいてくれてありがたい。

海外のお一人様である私は、本来貰ってくれそうな家族にあげたりできないのだ。

 

日本に行った時に渡せばよいと思うだろう。

しかしこの9年で一度しか日本に行った事がないし、身内は一度もパリには来ていない。

これからもこの状況は変わらないと思う。

 

 今回の引っ越し準備の為の不用品処分では、周囲の人々に物を貰っていただけ、嬉しい気持ちになった。

 

 特に思い入れがあった物は、誰でもいいから貰って欲しい訳ではない。

 

 やはり、この人に貰って欲しいという私の願望がある。

 


それが叶って、私の所では陽の目をみなかった物が、貰われていってからその物の生命を甦らせた姿をみる機会に恵まれた時、良かった~と、安堵する。

 


 まだ使える状態の良い物を、ゴミとして処分する気にはなれない。

 


 せっかく出会った物達である。

その物としての寿命を全うして欲しい。

 


余談だが、私はよく人から物をもらう。

 


それはよっぽどの事がない限り、くれる物は何でも喜んで貰うからだ。

 


貰う事で人を喜ばせる事ができるのをご存知だろうか?

 


割と多くの人が、愛着のある不用品の行き場を探している。

 

 私と同じように、ただ捨てるのに気が引けるのだろう。

 

 

 物を貰って、もしも自分にとって不用品なら、誰か喜んでくれそうな人を探せばいい。

 

  物をキチンと成仏させるための努力は惜しまない。

 


仮に捨てる事になってしまっても、くれた人は誰かのところに行って役立っていると思っているだろう。

 

 貰った時に喜んで受け取って、何とか行き先を考えてみて、その結果がゴミ箱だとしても、物に申し訳ない気持ちで別れるのだ。

 

 充分にその物と向き合って過ごした時間があり、愛情を注いだではないか。

 

それで良しとしたらどうだろう。

 


物とでも別れる時に辛さを伴う時がある。

 

 だからといって消費を辞めてしまうワケにはいかない。

 

それならば、次回からはよく考えてから買うしかない。

 

これが出来るようになれば、ミニマリストになれるのだろう。

 

ただ車のハンドルの遊びの部分と一緒で、ほんの少しの衝動買いは自分に許そうと思う。

 

買うことで幸せな気持ちになれる事もあるのだ。

 

 後で買った事を後悔しそうになったら、買った時の幸福感を思い出して、また貰い手を探そう。

 

こう思っていれば、処分し過ぎのリバウンド予防になると信じている。