令和元年を迎えて思う和暦の弊害
日本の事に疎くなっても、もうフランス人なのだから構わないと思っていた矢先、四月に日本の人達と話していたら、五月から年号が令和になるという話題になりました。
何も知らなかったのは私だけで、私の周りの日本人は皆んなすでに知っていてビックリ‼️
ちゃんと日本のニュースをチェックしているそうです。
年号が変わると一つの時代が終わって新しい時代がやってくる、と変化を意識します。
実感としてすぐ変わるのは手書き領収書や書類に記入する年号で、生活自体は大きく変わりません。
天皇が政治を行う訳ではないので、実際に政治が変わるのは選挙の後。
新しい時代が来ると期待するならば、本来はこのタイミング。
だから海外では選挙の後に市民が広場に集まってお祝いしたりしますよね。
新しい天皇になって、これからどんな日本になってほしいかと国民にインタビューしたって、天皇に出来る事って限られているでしょうから、期待しすぎずお祝いの意を込めるくらいで充分だと思います。
日本のテレビ報道をみていて、盛り上げ方が面白かったです。
平成最後の晩餐は何を食べているか、平成最後に生まれる子どもとか。
そんなのをみていたら、明治生まれで最後に亡くなった人って誰だったのでしょうか?
平成最初の子供は今、どうなっているのでしょう?
などと気になりだしました。
和暦が日本社会に広く浸透し身近なため、昭和の人とか平成の人など、あるかないか分からない特徴を探し出して一括りにするのは、何か違うような気がします。
両親も私も昭和生まれですが、戦後に近い生まれと、その20年後では生活環境は全く違います。
年号が変わってもいいくらいの違いです。
昭和生まれというと、たとえ昭和後半の生まれでも、昭和初期のイメージまで混ぜている人もいるようで、
昭和の人 = 古い人
という意味で使われることもしばしば。
平成生まれの人は、昭和生まれからしてみれば今どきの若い者。
[ 平成生まれは、これだから]
と言われ育った人も多いらしく、それはそれで困ったものです。
平成の子供を産んだのは昭和の親です。
平成生まれの人にとやかく言う前に、昭和の大人たちが作った環境が不味かったのかもしれない、と反省すべきだと思うのです。
こう言った和暦の使い方、年号によっての世代分けはしなくていいのではないでしょうか。
ただ天皇が変わっただけで、年号が変われば生まれてくる人の性格が変わる、そんなわけはないのです。
世代分けを仮に1960年代生まれとか80年代生まれとか年代で言えば、バブル期だわとか、オイルショックの頃ね、など正しくその時代イメージが思い出しやすくなります。
音楽史では80年代ヒットチャートというように、10年ごとにまとめています。
10年違うだけで、けっこう時代を感じます。
昭和は昭和天皇を軸とした見方をするには適していますが、国民を軸にするなら西暦で80年代といったまとめ方の方がより正確に時代を振り返れるのではないでしょうか。
さて日本の和暦ですが、文化として継続しているのは理解できます。
しかし公式な書類に使用するのはどうなのかと、日本にいるときからずーっと思っていました。
西暦と和暦が2つある日本。
日本の履歴書や国の書類に名前や生年月日を記入するのは分かるのですが、なんでわざわざ年齢も記入しなければならないのか理解できません。
失礼だなぁと、毎回イヤな気分になるのです。
これって和暦だと年齢を直ぐに計算できないからではないですか?
和暦の弊害!
年齢記入をなんとも思わない人もいるのでしょうけれど、私は20代後半からは自分の年齢なんて知りたくもありませんでした。
自覚してしまうと、実際にそれに相応しくなろうとする人間のメカニズムがあると思うのです。
しかし転職や免許証の更新、何かに申し込む度に年齢を書かされ、せっかく年を忘れていたのに嫌でも現実を突きつけられるのです。
[ ホント勘弁してください。
私の年が知りたいのなら、西暦で生年月日を教えてあげるから、ご自分で計算してください。
そして絶対に私に教えないで!]
いつもそう思ってましたよ。
その場で直ぐに年を知りたいのであれば、その書類は西暦で生年月日を記入させて、知りたい人がコッソリ計算すれば良いのではないでしょうか?
この日本のシステムが、人を老けさせる原因の一つになっていると思います。
私なんてある時、予想よりも上の年齢になっているのを知って、ショックを受けた事があります。
自覚している年齢が3歳くらい現実と違えば、身体に与える影響は違うはずです。
書類を書く度に、どうして自分の年齢を自覚しなくてはならないのでしょうか?
その点フランスの書類は西暦で記入すればよいので、計算しない限り年齢を自覚しなくて済んでいます。
他に和暦が弊害となるのが、テレビで時代劇や歴史物を見ている時。
天保3年っていつ?
どのくらい前の話なのかハッキリ分からないのです。
和暦を日本文化として年賀状やカレンダーには使用を続けるとしても、公式な書類は西暦にした方が国際化していく現状と合っていると思います。
実際に日本には外国人滞在者も増えているでしょうし、その人達には西暦記入を認めているのだから、日本人が西暦記入しても問題はないはずです。
海外に出て行く日本人も多いと思いますが、和暦で作成された証書や書類を西暦に直して翻訳する場面も出てきます。
フランス国籍を申請する時に、出生証明書、改定原戸籍などをフランス語に翻訳してもらいましたが、和暦から西暦に正しく変換されているかを細かくチェックするのが面倒でした。
履歴書を書くときも、初めの一枚は面倒でした。
これから私が日本の書類に記入する機会はほとんどないと思うので、和暦がどうであれ困ることはないでしょう。
昭和が終わってから、違和感のある新しい名前の平成に変わり、和暦との縁が薄れたように感じていました。
私には平成の思い出はないのです。
平成だと意識して生活していないという意味で、実際に平成の期間にいろいろなことがありました。
2000年からは西暦で自分の歴史を振り返っています。
今回の令和は平成よりも遠く思え、令和の時代を生きているなんて、この先思う事はないと思います。
だから人は私を[ 昭和の女 ]と呼ぶのでしょう。